播磨の国の陰陽師・智徳法師|海賊を術で捕らえた『今昔物語集』の不思議な話

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平安時代を代表する陰陽師といえば、安倍晴明がよく知られています。

しかし、『今昔物語集』には晴明以外にも、不思議な術を使う陰陽師が登場します。

その一人が、播磨の国の陰陽師・智徳法師(ちとくほうし)です。

智徳法師は、法師でありながら陰陽の術にも通じており、『今昔物語集』巻二十四第十九「播磨国陰陽師智徳法師語」では、海賊に奪われた荷物を不思議な術によって取り戻します。

しかも智徳は、別の話では安倍晴明とも関わっています。

この記事では、

  • 播磨の国の陰陽師・智徳法師とはどのような人物なのか
  • 智徳が海賊を捕らえた不思議な話
  • 智徳が使った陰陽術
  • 安倍晴明との関係
  • 智徳は晴明より劣った陰陽師だったのか

について紹介します。


播磨の国の陰陽師・智徳法師とは?

『今昔物語集』巻二十四第十九には、播磨国に住んでいた智徳という法師が登場します。

智徳は単なる僧ではありません。

陰陽師でもあり、並一通りではないほど陰陽の術に優れていた人物として描かれています。

後ほど紹介しますが、その術の力は、海上にいる海賊を船ごと自分のもとへ引き寄せてしまうほどでした。

智徳は法師であり陰陽師でもあった

現在では「陰陽師」と聞くと、朝廷に仕えた安倍晴明のような人物を想像するかもしれません。

ところが『今昔物語集』に登場する智徳は「法師」です。

僧侶の姿をしながら、陰陽の術を使う人物として描かれています。

しかも物語の冒頭から、智徳は並の陰陽師ではないことが強調されています。

その実力を示すのが、今回紹介する「海賊を捕らえる話」です。

播磨国とは現在のどこ?

播磨国(はりまのくに)は、現在の兵庫県南西部を中心とする地域にあたります。

今回の物語には「明石浦」も登場します。

明石は現在の兵庫県明石市周辺です。

つまり、智徳法師は現在の兵庫県周辺で活躍した陰陽師として物語に登場していることになります。


【あらすじ】播磨の国の陰陽師・智徳が海賊を捕らえる

それでは、『今昔物語集』巻二十四第十九「播磨国陰陽師智徳法師語」の内容を見ていきましょう。

京へ向かう船が海賊に襲われる

あるとき、明石浦から京へ向かおうとする船がありました。

ところが、その船が海賊に襲われてしまいます。

海賊たちは船に積まれていた荷物を奪っただけではありません。

船に乗っていた人々のうち、数人を殺してしまいました。

船にいた三人ほどは、海へ飛び込むことでなんとか逃げることができました。

そして、命からがら陸までたどり着きます。

そこで彼らは、一人の法師と出会いました。

杖をついて歩いていた、その法師こそが智徳法師です。


船主が智徳法師に事情を話す

助かった船主は、智徳に海賊に襲われた事情を話します。

荷物を奪われ、人まで殺されたことを聞いた智徳は、驚くべきことを言いました。

海賊たちを捕らえて連れてこようというのです。

普通なら、すでに海の向こうへ逃げてしまった海賊を捕まえるのは困難でしょう。

まして、智徳は武士でもありません。

ところが智徳は、海賊を船で追いかけるのではなく、陰陽の術によって捕らえようとします。


智徳は海の上に何かを書き、呪文を唱えた

智徳は船主を伴い、船に乗って沖へ出ます。

そして海上で、不思議な行動を始めました。

何かを書き、それに向かって呪文を唱えたのです。

その後、智徳たちは陸へ戻ります。

すると今度は、まるでそこに誰かがいるかのように、何者かを縛り上げるような仕草をしました。

現代の感覚からすれば、何をしているのかまったく分かりません。

しかし物語では、この行動が後に大きな力を発揮します。

智徳はさらに人を雇い、数日間、海の様子を見張らせました。


7日後、海賊を乗せた船が漂着する

船の荷物を奪われてから7日ほどたったころです。

海の上に一艘の船が現れました。

その船は、自分たちの意思でこちらへ向かっているというより、漂流してきたような様子でした。

人々が船を調べてみると、中には大勢の男たちがいました。

しかも彼らは武器を持っています。

彼らこそ、先日船を襲った海賊たちでした。

海賊たちは酔ったように倒れていた

奇妙なのは海賊たちの様子です。

武器を持った大勢の海賊がいるにもかかわらず、彼らは抵抗しません。

まるでひどく酒に酔った人間のように、ぐったりとしていました。

逃げようとする様子もありません。

そして船の中を確認すると、そこには船主から奪った荷物も残っていました。

つまり智徳は、

遠くへ逃げた海賊たちを、奪った荷物ごと船で引き寄せた

ことになります。

武器を持った海賊を追跡して戦ったわけではありません。

海に向かって術を施しただけで、何日も後になって海賊船そのものが戻ってきたのです。

智徳が並の陰陽師ではなかったことがよく分かる場面です。


智徳は海賊たちを殺さずに追い払った

海賊を捕らえた人々は、当然怒っています。

仲間を殺され、荷物まで奪われているからです。

しかし智徳は、海賊たちを殺そうとはしませんでした。

海賊たちに対して、

「この国には、このような老法師がいるのだ」

という趣旨のことを言い聞かせ、今後このような悪事を働かないよう戒めて、追い払います。

ここも興味深いところです。

智徳には海賊を捕らえるほどの力がありました。

しかし、その力を使って海賊を殺すのではなく、自分の力を思い知らせたうえで解放しています。

「播磨国には自分のような法師がいることを覚えておけ」という、海賊への警告だったのでしょう。


智徳法師はどんな陰陽術を使ったのか?

では、智徳が海賊を捕らえるために使った術は、具体的にどのようなものだったのでしょうか。

残念ながら、物語では術の名称や詳しい仕組みまでは説明されていません。

描かれているのは、

  1. 船で海へ出る
  2. 海の上に何かを書く
  3. 呪文を唱える
  4. 陸に戻る
  5. 何者かを縛るような動作をする
  6. 数日後、海賊の船が漂着する

という一連の行動です。

海賊たちは遠くにいるはずです。

ところが智徳が術を施した後、逃げることもできない状態になり、最終的には船ごと戻ってきます。

物語はこれを、智徳の「陰陽の術」によるものとして語っています。

どのような術なのか具体的に説明されないところが、かえって不気味です。

海の向こうにいる相手を直接見ることもなく捕らえ、数日かけて自分のところまで引き寄せる。

智徳は、それほど強力な術を使える陰陽師として描かれているのです。


智徳法師は安倍晴明とも関わっている

これほど優れた陰陽師だった智徳ですが、実は『今昔物語集』の別の話で、安倍晴明とも関わっています。

それが巻二十四第十六「安倍晴明、忠行に随いて道を習うこと」です。

この話には、播磨国から来た法師が晴明を訪ねる場面があります。

第十九の内容から、この播磨国の法師が智徳であることが分かります。

詳細は関連記事で確認できます。

→【関連記事:安倍晴明、忠行に随いて道を習うこと|百鬼夜行と式神の話】


智徳は安倍晴明より劣っていたのか?

関連記事の内容にある「智徳は晴明に式神を隠された」場面だけを見ると、

「晴明の方が圧倒的に優秀で、智徳はそれほど大した陰陽師ではなかったのでは?」

と思うかもしれません。

ところが、「播磨国陰陽師智徳法師語」では、そのような単純な評価にはなっていません。

「式神を隠す術を知らなかっただけ」と語られる

海賊を捕らえる話の最後では、智徳が非常に優れた陰陽師であったことが改めて語られます。

確かに智徳は晴明に式神を隠されました。

しかし、それは人の式神を隠す術を智徳が知らなかったためであって、智徳の能力そのものが低かったわけではないという趣旨で語られています。

これは非常に興味深い評価です。

物語の語り手は、晴明を高く評価する一方で、智徳についても「晴明に負けた陰陽師」として片づけてはいません。

むしろ海賊の話を通して、智徳もまた並外れて優れた陰陽師だったことを強調しています。


第16では智徳自身が晴明の術を認めている

一方で、第十六「安倍晴明、忠行に随いて道を習うこと」を読むと、少し違った印象も受けます。

晴明に式神を隠された智徳は、その術に感心します。

智徳は、自分でも式神を使役することはできるものの、

自分の式神を使うことと、他人が使っている式神を隠してしまうことは別である

と考えました。

式神を使うことはできても、他人の式神を自在に隠してしまうのは難しい。

智徳は晴明の術を高く評価し、ついには晴明に弟子入りを申し出ます。

つまり二つの話を合わせて読むと、智徳と晴明の関係がより面白くなります。


海賊退治の話と安倍晴明の話を比べると面白い

二つの説話における智徳の描かれ方を比べてみましょう。

話智徳の描かれ方
播磨国陰陽師智徳法師語(本記事の内容)海賊を船ごと術で捕らえる非常に優れた陰陽師
安倍晴明随忠行習道語(関連記事の内容)式神を操ることのできる播磨国の法師
晴明との対面晴明に自分の式神を隠される
智徳の反応晴明の高度な術を認める
その後晴明に弟子入りを申し出る

智徳は、決して「晴明に簡単に負けただけの陰陽師」ではありません。

海賊を相手にしたときには、直接戦うことなく、遠くにいる海賊を船ごと術で引き寄せています。

その一方で、晴明には自分の式神を隠され、その技術の高さを認めています。

ここからは、

非常に優秀な陰陽師である智徳でさえ驚くほど、晴明の術が優れていた

という読み方もできます。

智徳の能力を高く描くことが、結果として安倍晴明のすごさを際立たせているともいえるでしょう。


「播磨の国の陰陽師」として描かれた智徳

今回の話で特徴的なのは、智徳がはっきりと「播磨国の陰陽師」として描かれていることです。

現在、陰陽師と聞くと京都で活躍した安倍晴明のイメージが非常に強いでしょう。

しかし『今昔物語集』を見ると、陰陽の術に優れた人物が京都だけにいたわけではないことが分かります。

少なくとも説話の世界では、播磨国にも智徳という非常に優れた陰陽師がいたと語られていました。

ただし注意したいのは、『今昔物語集』は説話集であるということです。

今回紹介したような超自然的な術が歴史上実際に行われたと考えるのではなく、

中世の人々が陰陽師をどのような存在として語ったのかを伝える説話

として読むのがよいでしょう。

海賊を船ごと引き寄せる智徳の姿からは、当時の人々が陰陽の術に対して抱いていた、不思議さや畏れを感じることができます。


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